肌で感じた違い。

スペインに来た目的はサッカーを肌で感じる為だ。

聞いて来た、読んできたものが果たしてそこにあるのか。その答え合わせと、新たな経験が生む考えを探しに来た。


環境の違い。

これは相当違う。トレーニングは週2.3回で週末にはリーグ戦1試合。同じ力量ぐらいのチーム16チームが1つのリーグを形成する。もちろんそのリーグはピラミッド方式で、最上のリーグはたった16チームでしかない。さらに、1チームあたりの人数もおそらく規制されていて、1つのチームから何チームも能力別に振り分けられてリーグを戦っている。9月から5月まで、トッププロとほぼ同じ日程で行われるこのリーグはもちろんホーム&アウェーで行われる。つまり各チームが専用グランドを持っていて、その環境は全て芝だ。チームによってグランドの大きさは少し変わると思う。また観客も入る。ビールとボカディージョス片手に。笑

 

下に行けば行くほどチーム数は多くなるから昇格するチームは降格するチームより少ない。より拮抗した、熾烈な闘いが毎週繰り広げられる。選手も監督もクビがあり結果が常に求められる。

熾烈な闘いは何もチームだけでない。個人選手にも当てはまる。それが可能な理由として、あるのかアプリの存在がある。そのアプリは試合情報(日時・会場)以外にもリーグ順位や結果、さらには個人記録(出場時間数・得点数・アシスト数など)が管理され、各チームのスカウトマンはこれをもとに選手に接触したりする。このアプリは僕でも見れるし、日本にいても常に情報は手に入れられる。この優秀なアプリ、日本にも流行らないかな。とても便利で。


サッカーに心を奪われる場所がある。

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これってとても大事だと思う。僕はそれがカンプノウであり、偉大なるFCバルセロナだと思う。

実際にカンプノウツアーでカンプノウに入ったが、あの興奮は今でも忘れられない。バルセロナの歴史を感じ、鳥肌が立つほどの興奮するスタジアム入場への道。戦いに備えるロッカールーム、想いを語るインタビュー会場や会見会場。バルサの歴史を肌で心で感じることのできるミュージアム

そこには1人のサッカー人としての想いが、興奮があった。うちから溢れ出るものがあった。自分のサッカー人生を振り返りながら、これからもまだまだ歩みを止めたくないと感じさせてくれる場所だった。


メッシがFKを決めて勝利したvsアトレティコ・マドリーの試合もカンプノウで観戦したが、とにかく観客数含め「すごい」の一言。スタジアム全体が選手たちに自分の想いをのせていくかのような雰囲気。自然と起こる選手へのコールや、ブーイング、拍手。それらがいる全て迫力しかなかった。これぞホームなんだなと思わせる。


そしてその想いに答えるかのようにピッチで躍動する選手の姿はとてもカッコよく、背負うもの全てをぶつけていると感じられる。絶対幸せだろって思う。

カンプノウは単なる1スタジアムではない。そこは劇場に相応しい場所だと僕は思う。10万という数の人々がピッチで1つのボールに対して競う22人にアツくなるのだ。お年寄りも子どもも関係ない。ゴールが決まれば雄叫びをあげ、自チームの選手がタックルを受ければブーイングでプレッチャーをかけ、プレーに対してあぁでもない、こうでもないと語り尽くし、勝利の瞬間には優勝したんかってくらいのテンションで立ち上がり、拍手し歌を歌う。杖をついているおじいちゃんも普通に立ち上がったりしてるのを見て、サッカーの力を感じた。

心を奪うほど熱狂できる場所がある事の素晴らしさ。

誰もがサッカーを愛する事のできる理由がなんとなくわかった気がした。

 

 

どの年代も。

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子どものリーガもアツさしかない。1点を争いお互いの選手の感情がぶつかり合う。そこには激しさ、迫力が常にある。そんな中でも1部のクラブでプレーする選手は相手をいなす。ギリギリの攻防を常にする。監督もあの手この手で作戦を変更するし、選手も変更についていく。その能力の高さには本当に驚いた。小さい頃から本気の試合を勝つという目的に向けて毎週行っているのだから、その蓄積はものすごい量になるのだろう。日本とは違う雰囲気だったのは間違いなく、その原因はなんなのだろうか。


言葉が出なかった試合。

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僕は運良く、バルセロナの育成年代のゲームも観戦することができた。U8ぐらいの試合を見たとき、僕は言葉を失った。目の前の試合は小さな大人が試合しているかのようだった。それぞれがそれぞれにポジションを取り、相手と激しくぶつかり合い、時にいなし…

自分が同じくらいの時にできなかったことをすんなりとやってのける。それを見て、悲しくなった。過去の自分、その時の環境、その環境から生まれた自分の思い…全てが甘すぎた。そんな事も知らなかったから言えたし、思えた事だが、本当に悲しい。こんなにも小さな時から差があるのか…

まだまだ日本の子どもがメッシのようになる日は遠いんじゃないかと思った。

もっともっと指導者がレベルを上げ、より高い質のサッカーを伝えていかなければならないと思った。

本当に衝撃的な1日だった。

 


練習に隠されたもの。

連れて行った子どもも、クラブチームの練習に参加した。僕はそのトレーニングを見学し、横に連れて行って頂いた方がつき、どんな練習をし、どんな事を意識するのか、なんて声をかけているのか教えてくれた。

僕が見たら一見ボール保持に見える練習でも守備の練習だったり、その逆の事が起こったり。練習の細かな意図は何か考えたり。常に面白さしかなかった。技術練習ももちろんだが、基本的に戦術練習がメインになっているところもあった。それはリーグ戦が週末にあるからであり、試合分析を行ったスタッフが今週の戦い方を伝授しているパターンだ。

どこから攻略するかとか、奪ってどこに蹴りだすとか、その事を伝えていた。

僕は今までそんな指導を受けた事が少ない。

それを小学生からやっているのか。と感じてしまった。きっとそれが差なのだろう

徹底的に勝ちにこだわる。その中で個人戦術、技術も磨く。その本気度がきっと違う。

それが彼らの練習に隠された最大のものであろう。

 

この国のサッカーに触れて。

この国に来て肌で感じた事。それは

どの年代を見ていても心が疼くような、動くような内面から溢れ出て来そうな、興奮に似た感情が芽生える事だ

これはどの年代のリーグを見ても、プロの試合を見ても生で観るとおんなじ気持ちになる。残念ながら、スペインに行ってから日本でこのような経験をしたゲーム(観戦で。)は数えられる程でしかない。それが一番大きいのではないだろうか。

本当にサッカーのレベルが高い。実行しているスピード、レベル。その選手の年齢。全て見ても子どもの選手レベルは日本と違う。

ぱっと見た印象は小さなプロ集団だった。勝利という目的に向かってどんどん進んでいくその姿や、その表情にはなんの迷いもない。

スッキリとそして、堂々としていた。

振る舞いが、オーラが、カッコよすぎる。

サッカーの捉え方が全然違うと感じた、スペイン・カタルーニャのサッカーだった。

 

長く期間が空いてしまいましたが、スペインでの事を書き綴るのはここまでにします。

まだまだサッカーを中心に書きたい事はたくさんあります。

ですが、それはまたにします。

 

これからもよろしくお願いします。