幸せを欲張った。-平成最後の、夏の終わりに思う事-

今日は8月最終日。暦で言えば夏の終わりだろうか。今年にちなんで言えば、平成最後の夏だった。人生で言えば学生最後の夏休み。僕の夏を振り返らせてもらう。

一言で言えば「気付き」の多い夏だった。おそらく今までサッカーをやってきてから1番ゆっくりと過ごせた夏だった。だからこそ考える時間も多く、いろんなことを思う夏だった。

 

気付きといっても何に気付いたのかは凄く重要だ。僕が気付いた事は僕自身が

「幸せの欲張り」をしていたことだ。

現実の僕を知っている人は知っているかもしれないが、僕の夏の始まりは彼女にフラれた事だ。その理由が悲しくて悔しくて、自分を保つ為にブログを使った。もちろん、それが全てではない。が、そのフラれた理由を覆したい。その想いでこの少しの日数を重ねてきた。

絶対に夢を叶えて見返したる。今の評価全部を覆したる。

その想いだ。もちろん今も原動力の一つだ。

でも、この夏に多くの時間で自分の事を考え、色んな方と話し、今までしない経験を得た僕はある事に気付いた。

 

「幸せの欲張り」をしていたなと。

 

ここでいう幸せの欲張りとは…

「日本を代表する育成年代の指導者」

になる夢と

「彼女といること」

を欲張ったという事だ。

 


何でそーなる?と思う人もいるかもしれないが少し耳を傾けてもらいたい。

 


僕の夢は前にも書いたし、その1番おっきなものは今言ったものだ。

これは絶対になれるわけでもないし、なれたとしても金銭的に生きていける保障はない。

これは仕事に対する考え方にも通ずると思うがやりたい事を仕事にするのか、やりたい事をする為に仕事するのかと関係がある気がする。

やりたい仕事かつ、安定している職業ならばそれは天職なのかもしれない。

ただ僕が夢見るものは叶えたとしても保障されるものが少ない。

おまけに僕はやりたい事の為に仕事をする選択を今してない。

つまり就職せずに追いかける。

保障なんて全くない。

 


2つ目を考えよう。フラれた彼女とは仲良かったし、それはそれは、物凄く好きだったし、一緒にいられるもんなら居たいよなって普通に思ってた。夢叶えて一緒に居れたらなとか普通に考えてた。もちろん僕の夢を応援してくれてたし、僕は悩んだ時に彼女に何度救われたことか。本当に存在の大きな人だった。

 

ただ、一緒にいようと思うと必要な事がある。それは生活する為の保障だ。

 

僕は1つ目の夢を叶えたとしても保障はない。叶える途中なんてもっとない。自分1人くらいならギリギリなんとかなっても、他の人は巻き込めない。それも支えてくれるようなかけがいのない人ならなおさらだ。

 


そんな事を頭の、そして心のどこかでずっと分かってきたけど、それを選択できずに引きずった結果、相手にさせてしまった。

 

 

ここで、幸せの欲張りはいけないの?って思う人もいるだろう。ただここで注目してもらいたいのは、

「今の自分の手に収まる範囲の幸せはいくらでも欲張っていい」

という事だ。

 


例えば、コンビニでスイーツも食べたいしお菓子も食べたいと思ったとする。

この時、2つを購入して食べればとても幸せ、どちらか1つ食べれても幸せ、どちらも購入できなかったので悲しい。だとしよう。

 

両方食べてより幸せになれるなら、持ってるお金で両方を購入できるに購入しない人はいないでしょ?


逆にどんだけ幸せになりたくても持ってるお金が足りなかったらその場じゃどんな手を使ってもだいたいどちらかしか購入できないでしょ?

 

ざっくりそんな感じ。(果たして伝わったのか…わかりづらくてごめんなさい)

 


結局、何を言いたいん?ってなるんだが、人間は、より幸せを求めて生きるのが普通で、勝手にそう動いてると僕は思う。

でも、

幸せは自分の手に収まる範囲のものでいい。

だって、収まんないと苦しくなるから。

もっともっと幸せが欲しいなら手に収まる範囲を広げたらいい。

それがきっと学びで、行動で、経験で、お金であって補える事だ。

少しずつ少しずつその範囲が大きくなって、より幸せになる。

きっとそれだけ。

 


僕の手には収められないものだった。

 

僕はある祭りで2日間屋台を手伝い、お金を自力で稼ぐ事を経験した。普段アルバイトをしてるが、それとは全く違った。最初から最後まで約14時間を2日間。屋台の売り上げとか、自分の仕事に対する報酬とかを考えると、就職せずにその夢追いかけるのは無謀じゃね?と思ったりもする。

ゆっくり帰省して親と話した時には、これから支払っていくもののだいたいの金額であったり、今ある僕自身の貯金であったりとお金周りを把握した。正直きつい。不安しかない。まあ自分1人ならなんとかなると思っている。そんな状態。

 


手に収まる範囲がそれでしかない僕にとって、夢と同時に抱えきれないものであったなと思うし、あの時それが理解できてなかったから、傷つけるような事も言ってしまったかもしれないと思ったり、僕自身が吹っ切れない状態だったんだなと。

時間が解決してくれるもんじゃない、と思っていたからこそ自分には十分に足りる気付きだった。

 

 

夢を追いかけずに、違うものを取ればきっと結果は変わっていたでしょう。でもそれじゃ僕じゃないと言ってくれた相手には感謝しかありません。

色んなものを教えてくれた、本当に大きな存在の1人です。

 


時が経てば考えが変わる。ただ、考えが変わるには環境が変わっている事が必要。取り入れる情報が新しいからこそ、違う側面から問題を見ることができる。

ゆっくりとした夏は僕にとって、

いい「気付き」を与えてくれた。

 

幸せは欲張っていい。

でも欲張ることのできる範囲で。

 

今できないなら積み重ねて広げよう。それしかないから。

 


平成最後の夏の終わり。

僕が平成最後の夏、8月の終わりに思う事だ。

 


もし約9か月前の自分の前に立ち、何か言えるのなら

「幸せを欲張れるようにもっと努力しろ。絶対欲張っても大丈夫なようになれ。絶対だ」って言うだろう。振り返ると成長してんだな。少しだけは。

 

 


あと夢に向かうだけ。3年以内に海を渡る事が出来るように。

夢を叶えてさらに、今できなかった幸せの欲張りができるように。

 

平成最後の夏、夏の終わりに僕は再び前に進む。